“釜石最後の芸者”舞台化「艶子姐さん」 名取裕子さん主演で10月29日 花街の枠超え継承

  •  旧釜石一中の避難所で、木村めぐみさん(左)にお座敷唄を伝える伊藤艶子さん=2011年6月、岩手県釜石市(撮影・筆者)
  •  舞台「艶子姐さん」の公演ちらし
  •  旧釜石一中の避難所を訪れた八王子芸者衆に「釜石浜唄」の踊りを教える伊藤艶子さん(右)=2011年7月、岩手県釜石市(撮影・筆者)
  •  釜石市の料亭「幸楼」で開かれた宴席。伊藤艶子さん(左)は木村めぐみさんの三味線に合わせてうたった=2014年6月、岩手県釜石市(撮影・筆者)

 岩手県のある釜石芸者の生涯が今月、初めて舞台化される。各地の花柳界が後継者不足を危惧する中、花街の枠を超え、東京・八王子芸者へと継承された「芸」がある。取材を続けるフリーライター浅原須美さんにつづってもらった。

   ×   ×

 “釜石最後の芸者”として知られた伊藤艶子さん(2016年、89歳で死去)の波乱の人生をテーマにした語りと踊りの舞台「艶子姐さん」が、俳優名取裕子さん主演で10月29日、岩手県釜石市の市民ホールで上演される。

 東日本大震災の津波で自宅をのまれ、三味線や着物など一切を流され、着の身着のままで旧釜石一中体育館の避難所に身を寄せた艶子さん。避難所には国内外の多くのマスコミが取材に訪れ、艶子さんの存在を報道した。

 窮状を知った東京・八王子芸妓組合の元組合長で芸者の木村めぐみさん(61)は、同じ芸者として艶子さんの悲しみが痛いほどよく分かったのだという。居ても立ってもいられなくなり、2011年5月初めに三味線を届けに避難所を訪れた。「迷惑ではないでしょうか」と釜石市役所に確認した上での行動だった。

 艶子さんは、東京から見ず知らずの芸者さんが三味線を届けに来てくれたことに感...

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