役人の子はにぎにぎをよく覚え―。軽妙な表現で笑いを誘う川柳は、その基になった前句付の点者(応募句の選者)として江戸随一だった柄井川柳(1718~90年)に由来する。川柳は俳号である。彼の墓や顕彰碑がある東京都台東区の蔵前周辺を歩いた。(共同通信=松本泰樹)
都営大江戸線新御徒町駅のやや東、春日通りと新堀通りの交差点に「川柳発祥の地」と書かれた碑が立つ。柄井が川柳隆盛の基礎を築いたこと、この地で名主を務めていたことなどが述べられ、側面には肖像のレリーフも飾られている。
新堀通りの1本東の小道を南へ入ると、左手に龍宝寺が見えた。柄井が暮らしていたのは寺の門前で、境内には都の旧跡に指定された墓や、「木枯や跡で芽をふけ川柳」と刻んだ句碑がある。辞世の句とも伝わる。
小道で、電柱に「川柳横丁」と書かれたプレートを発見。寺によると、地元住民が区に申請して認められた愛称だという。ほど近い菊屋橋公園では「柄井川柳碑」に対面した。さまざまな場所で柄井が顕彰されていることを実感する。
新御徒町駅のそばにある佐竹商店街に立ち寄った。この辺り一帯は江戸時代、佐竹氏が藩主を務める秋田藩の上屋敷だった。狂歌師の...