運転手の「きょうが初日よ」という答えを聞いて合点が行った。ベトナム南部ホーチミン市のタンソンニャット空港から市中心部に向かう真っすぐの道でも肩に力が入ったハンドルさばきなのは、緊張からなのだろう。
彼女は南部メコンデルタのふるさとを離れ、ホーチミン市内の台湾系スニーカー工場で10年勤めた。しかし1年前に他の数千人の工員とともに整理解雇の対象となった。42歳で独身。受注の減少にあえぐ縫製工場に働き口はなく、郷里に帰る気もない。工場時代の月給1000万ドン(約6万1000円)を「タクシーなら頑張れば超えられる」と一念発起して運転免許を取得した。晴れて乗車を開始した初日の何人目かの客となったわけだ。
ベトナムの法定最低賃金は、ハノイやホーチミンといった大都市では月額468万ドン(約2万9000円)。前職での月給は最低賃金の約2倍だが、実際のホーチミンの水準から見ると平均よりも低いだろう。乗車したこのタクシーの料金は初乗り(0・5キロメートル)で1万2000ドン(約73円)に設定されていた。
わずかばかりの紙幣を余分に渡して降車すると、運転席から振り向いて後部座席にスーツケースを片手で押し出...