日本の五輪初参加は1912年のストックホルム大会。1世紀を超える挑戦史には偉大な足跡が刻まれている。先達に長年、並ぶことも、追い越すこともできない競技、種目も多い。パリ五輪では数十年にも及ぶ空白期間を埋める日本選手の活躍が目立った。一方で、再び壁にはね返されたケースも。歴史を塗り替える戦いはまだまだ続く。(共同通信=荻田則夫)
▽馬術、92年ぶりのメダル
最も長いブランクを乗り越えたのが総合馬術団体での銅メダルだ。馬術では1932年ロサンゼルス大会の障害飛越個人で優勝した西竹一以来、実に92年ぶりのメダル獲得だった。「バロン(男爵)ニシ」の愛称で親しまれ、かつては教科書にも掲載された西と愛馬ウラヌスとの逸話を思い出したオールドファンも多かったろう。陸軍中尉だった西は、第2次世界大戦の戦陣に散った戦没オリンピアンでもある。
馬術は五輪競技の中でも競技活動に最も費用のかかるスポーツのひとつだろう。馬の購入、厩舎、厩務員の確保や、大会遠征のための輸送に多くの経費がいる。日本チームは、馬の調教や遠征でのロスをなくすため、本場欧州を拠点に時間をかけて五輪に備えてきた。人馬の欧州滞在にはさらなる...