この高揚感あふれる大会を、東京で実現したかった【五輪コラム】

ファンと選手の交流イベントに心からの敬意

  •  8月7日、パリ・トロカデロ庭園の「チャンピオンズパーク」(筆者撮影)
  •  2021年7月の東京五輪の開会式。観客はおらず、大会参加資格証を持つ関係者に限られ、政府、東京都、IOC関係者のほか、海外から来日した要人が参加した。(左から)旗手の須崎優衣、八村塁を先頭に入場行進する日本選手団=国立競技場
  •  男子20キロ競歩のコース周辺で観戦自粛を呼び掛けるスタッフ=2021年8月、札幌市
  •  東京五輪・パラリンピックを終え、記者会見する大会組織委の橋本聖子会長。「パンデミック後、世界で初めてのグローバルイベントである五輪・パラを開催し、しっかりとバトンをパリにつなげたことを誇りに思いたい」と総括した。=2021年9月、東京都江東区のメインプレスセンター
  •  スケートボードの女子パークで銀メダルを獲得し、「チャンピオンズ・パーク」で観客を背に自撮りする開心那=パリ(共同)

 アフターコロナのいわば正常化した五輪がパリで開幕して以来、心が動くような瞬間があったかというと、実はそうではなかった。正直前半は、沸き立つ気持ちは3年前の東京大会への思いばかりだった。東京五輪・パラリンピック組織委員会のスポークスパーソンを務めた私には、聖火リレーに集まる群衆、観客の入ったスタンド、街中の高揚感、どの景色を見ても「なぜこれを東京で実現できなかったのだろう」という悔しさにも似た感情があって、素直にパリ大会を称賛できなかった。(スポーツPRコンサルタント 高谷正哲)

 ▽東京で私たちは

 2度の招致活動を経て、2013年に東京五輪・パラ大会の開催が決まった。そこから大会成功の旗の下に少しずつ職場に仲間が増えて、高揚感とともに2020年を迎えた。しかし、新型コロナウイルス感染症拡大による史上初の大会延期に。2021年に大会が開かれた時には、感染防止のためにルールの遵守徹底を呼びかけることが私の仕事になった。

 記者会見では、大会関係者の新規陽性者数を発表し、ロード競技においては感染自粛を呼びかけ続ける毎日。記者会見を終えてオフィスに戻ると、空のスタンドがモニターに映し出されていた...

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