アフターコロナのいわば正常化した五輪がパリで開幕して以来、心が動くような瞬間があったかというと、実はそうではなかった。正直前半は、沸き立つ気持ちは3年前の東京大会への思いばかりだった。東京五輪・パラリンピック組織委員会のスポークスパーソンを務めた私には、聖火リレーに集まる群衆、観客の入ったスタンド、街中の高揚感、どの景色を見ても「なぜこれを東京で実現できなかったのだろう」という悔しさにも似た感情があって、素直にパリ大会を称賛できなかった。(スポーツPRコンサルタント 高谷正哲)
▽東京で私たちは
2度の招致活動を経て、2013年に東京五輪・パラ大会の開催が決まった。そこから大会成功の旗の下に少しずつ職場に仲間が増えて、高揚感とともに2020年を迎えた。しかし、新型コロナウイルス感染症拡大による史上初の大会延期に。2021年に大会が開かれた時には、感染防止のためにルールの遵守徹底を呼びかけることが私の仕事になった。
記者会見では、大会関係者の新規陽性者数を発表し、ロード競技においては感染自粛を呼びかけ続ける毎日。記者会見を終えてオフィスに戻ると、空のスタンドがモニターに映し出されていた...