ネット専門店で再出発 老舗人形店156年の歴史に幕 最終営業日に人形供養

 米子市の老舗人形店「人形のウエダ」(同市米原5丁目)がこの夏閉店し、156年の歴史に幕を下ろした。創業以来、商都・米子の象徴だった中心市街地の商店街に長く店を構え、複数店舗で人形のほか玩具やゲームを販売したが、少子化で需要が減少。コロナ禍により節句などの伝統行事を控える傾向が追い打ちをかけ、実店舗営業を断念した。今後はインターネット専門店として、ひな人形の飾りに敷く「毛氈(もうせん)」を中心に販売していく。

 同店を運営するウエダ人形は、江戸中期創業の小間物屋「山形屋」からのれん分けし、1868(明治元)年に菜種油商の上田和一郎商店として創業。明治の終わりごろには人形や番傘を中心に販売するようになった。

 1960年代にウエダとして法人化。高度成長の波に乗り玩具の取り扱いを始め、商店街の隆盛と相まって売り上げを伸ばした。81年に郊外型の米原店、87年に米子しんまち天満屋に「おもちゃのウエダ」を出店。しかし、少子化による人形や玩具需要の減少で2007年に商店街の店舗としんまち店を閉店。残った米原店を節句人形と盆提灯の専門店として再スタートを切った。

 「少しでも大きく豪華な人形が売れた。大安の日は家族総出でお客さん宅に飾り付けに出かけた」と5代目の上田直樹社長(56)は往時を振り返る。80年代後半にバブル経済が崩壊。店舗統合など経営環境が激変した07年に家業を引き継いだ。

 直樹さんは毛氈の種類がほぼ緑一色しかない点に着目。現状を打破しようと、色や柄を増やして販売したところ、予想以上にヒットした。09年にネットショップを開店。絵本作家の葉祥明さんを説得して制作したオリジナル絵本「ひなまつり」「こどもの日」と毛氈を人形販売のネット特典とすることで、新規顧客の開拓を図った。

 ネット販売がようやく軌道に乗った頃、コロナ禍に見舞われた。全国で節句行事が激減。同業者が次々と廃業した。昨年5月にコロナが5類に移行し持ち直すかと思いきや、今年2月のひな祭り商戦の売り上げは振るわなかった。熟慮の末、実店舗を畳もうと決意した。

 最終営業日の8月23日には毎年恒例の人形供養祭を店内で行い、関係者が見守る中、光西寺(同市博労町1丁目)の宮本寛雄住職がお経を唱え、集まった千点以上の人形を供養した。

 実店舗の閉店を機に、直樹さんは神奈川県座間市に移住。ネット店を経営しながら美術関連の仕事にも携わる。代々住み続けた米子を去ることについては後ろ髪を引かれる思いがある。それでも「5月5日の端午の節句と3月3日の上巳(じょうし)の節句(ひな祭り)は日本が誇る大切な文化。今後は毛氈と絵本を販売するネット店になるが、文化を残す担い手として頑張りたい」と前を向く。

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