惨禍招いた要衝、今も続く

「沖縄戦の縮図」伊江島

  •  沖縄戦当時、避難していたガマの前で話す東江栄一さん=3月、沖縄県伊江村

 太平洋戦争末期の1945年4月16日、米軍は沖縄県・伊江島に上陸した。“東洋一”と言われた飛行場があったがゆえに日米双方から要衝とみなされ、激戦の末、島に残った住民約4千人のうち約1500人が死亡し...

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