相撲と花火という、日本古来の二大娯楽が栄えた東京・両国かいわい。江戸時代からの歴史が息づく街を訪ね歩いた。
JR両国駅で下車すると、駅構内では巨大な白鵬や千代の富士らの優勝額が出迎えてくれた。歴代横綱の手形も飾られており、その大きさに驚く。訪日客も自分の手を重ねて記念撮影していた。
駅西口を出て、国技館通りを南下。通りには小さな力士像と手形をあしらったモニュメントがあり、脇道には「ちゃんこ」と書かれた飲食店の看板がのぞく。通りの終わりに建つのが回向院の山門だ。
1657年の明暦の大火による身寄りのない死者を、時の将軍徳川家綱の命で弔ったのが回向院の始まりとされる。火事をきっかけに隅田川に両国橋が架けられ、付近の発展につながったという。
江戸時代後期になると、回向院は勧進相撲の開催場所を独占。明治時代には境内に旧国技館が建てられた。今は説明板などが残るのみだが、旧国技館の収容人数は現在より多い約1万3千人。当時の相撲人気の高さがうかがわれる。
すぐ近く、ビルの1階にひっそりと「両国花火資料館」があった。1733年、川開きの日の水神祭で花火を打ち上げたのが隅田川花火大会のルーツとされる。...